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阪神・淡路大震災30周年

2025.01.09

1995年1月17日5時46分阪神・淡路大震災発生
今年が30年目の節目の年に当たる。

 震災で亡くなられた人はもちろん関連死した人や、負傷して健全な生活ができなくなった人、住む家を地震やのちに発生した火災で失くし生活がままならない人、ライフラインが途絶え、避難生活を強いられた人。
 歯科医師も同じ被災にあって右往左往していた。

 学校歯科医として担当の小学校を訪ねてみたら、全壊の認定であったが避難施設として教室は満員だった。
 運動場は無数の深い亀裂で埋め尽くされていて、その方向はまっすぐまだ建設途中の明石海峡大橋に向かっていた。おそらく、淡路島の野島断層に向かっていたのであろう。

 垂水区は、発生地の淡路島に近かったが、須磨区から東に被害が大きく広がっていて会員はほぼ無事だったと記憶している。しかし、身内、親戚には死傷者が出て決して無傷ではなかったし、診療所が半壊全壊した歯科医院がほとんどであった。
 親戚の被災の状況を知りたくて通いなれた道を走っていたら、やけに空が広い。
はっと気がつけば、ビルの1階、家屋の1階はつぶれて建物自体が低くなってしまっていた。空が開けていて広く感じたのだった。

 歯科は、発生直後の避難所など緊急時に活躍できる専門職ではない。ライフラインが途絶えた時点で診療活動は成り立たない。
 身元不明者の身元確認で警察歯科医とか、特殊な状況での活動はあるが、長期にわたる避難生活で口腔ケアを通じて誤嚥性肺炎の防止とか口腔衛生分野での活動が主体となる。
 当時、神戸市歯科医師会がデンタルチェアーを装備した診療自動車を所有していて、ある程度落ち着いて仮設住宅が完成してから、垂水区歯科医師会会員数名が仮設住宅で診療を行った記録がある。
 緊急歯科医療チームを編成しボランティア活動して垂水区、厚生労働省から感謝状をいただいた記録も残っている。
 それでも、義歯作成となると技工所が機能している地域に発注しなければいけなかった。
 現在は、ポータブルユニットの普及で、電源があれば歯科診療はある程度行えるが器具の滅菌などを考えると十分に対応できるかどうか。

 南海トラフが発生すると予想されている現在、発生する大震災を止めることも逃げることもできない。予想することさえもできないのが現実である。
 発生直後を生き延びて、通常の生活を取り戻すのに何年もかかってしまう。30年たった今でも心の傷は癒えないかもしれないが、当時を体験した人々は少なりつつある。
 建物も、耐震設計となりつつあるにしても、残念ながら阪神淡路大震災発生以降、神戸は政令指定都市の中でもっとも人口減少が著しい都市である。
 垂水区に限らず、少子高齢化で人口が減少するのは仕方ない。高齢化で、医療DXに対応できない歯科医院も出てきている状況ではあるが、若い力は確実に芽生えているはずである。30年目の鎮魂と同時に、これからを担う若い人々に対して未来を切り開く希望を祈念する。

垂水区歯科医師会会長 秀 有剛

緊急歯科医療チーム
診療車内
厚生労働省からの感謝状
垂水区からの感謝状
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